アサナの定義(ヨガスートラⅡ-46,47)
こちらのブログでは私が大ファンであるパタンジャリ様のヨガスートラ(ヨガの根本教典)を、私がインドの学校や日々の練習で学んだことから書いていきたいと思います。私が通っているインドのクリシュナマチャリア師の学校 KYMでは、とにかくヨガスートラを徹底的に学び考察します。
なぜか。それは、今、世の中にヨガと名がつくものがあふれていますが、もともとのヨガから誰かが解釈したものを広めさらにそれをまた誰かが解釈して伝え、と2回、3回と手垢がつくにつれ無惨にも原型をとどめなくなっているものに出会います。あちゃー(苦笑)それはそれで楽しむためにはよいかもしれませんが。。本物がもつ深さと輝きは別物。真実の探求をしたい自分は、出来る限り原典から離れたくないようにしたい。だって目から鱗の発見の連続なんですもの。もちろん、ここに書くのは私の解釈なので手垢がついてしまいますが、自分用の記録としても書いていこうと思います。さて本題。
パタンジャリのヨガスートラでは、アサナがどうあるべきかを以下のように説明しています。
Sthira-sukham asanam (yogasutraⅡ-46) ーアサナは安定し快適でなければならない。
無理なく安定し、そのポーズと一体となることができると、
・内側から自然に呼吸が深〜くなって
・身体各部がのびのび広がる感覚があって、
・ただただ心地よくて、
・そこからさらに進むと身体も周囲の存在も忘れる瞬間も訪れます。(個のアートマンとあまねくブラフマンの境がなくなるってことかな。。※現在進行形で研究中。)
私もまだまだだけどそんな感覚を少しでも味わってもらえたらな〜。そのためには・・・
Prayatna-saithilyananta-samapattibhyam (yogasutraⅡ-47) ー安定して快適なアサナは、緊張を解き、永遠なるものとひとつになることで達成される。
ヨガのアサナで肝心なことは、いかに余計な緊張を手放すかです。
吐く息とともに力みを手放すと前屈や後屈がさらに深まるのはみなさん経験済みですね。
肉体にはそれ自体の知性があります。
緊張や力みがなくなると、その知性が導き手となってくれます。自分の中にある知性、叡智を信用しましょう。知性と叡智とかいうと難しそうだけど、内側から体がむくむくと湧いてくる微細な感覚をキャッチして従うのです。たとえば、息を吸って胸が広がると自然に脊椎が反って伸びます。その動きは頭で意図したものではなく体が自然にやっていること。呼吸とともにある脊椎の動きを無視しないこと、その流れに従うこと。そういうシンプルなことなんです。
そうすると、今まで知らなかった自分発見がいっぱいあってアサナが俄然楽しくなってきます♪
次に「永遠なるものとひとつになる」の意味、こりゃまた難題だあ(笑)
これまた長くなるのでまたの機会に。。だけど短く書くと、「永遠なるもの」というののひとつは、みなさんそれぞれの内側にあるほんとうの自分、真我(アートマン、プルシャ)これはただただ静かで純粋ででエネルギーでもなく、確実にそこにあるもの。
クラスでは「自分の内側の静けさとつながって・・・」「ハートとつながって・・・」と言っています。
私たちそれぞれの内側にある静寂をいつも思い、それとひとつになることで肉体が本来の働きをしてくれるようになっていきます。
私がいちばん好きなスートラの日本語の解説書は、
「ヨーガ・スートラ〜パタンジャリ哲学の精髄」中島巌編訳 東方出版
いくつか読んだけどこれがKYMでの教えにいちばん近いこともあるし日本語編訳の中島さんはサンスクリット語の研究者で、英語からの重訳ではなくサンスクリットからの直訳がされているので。
そしてスートラは簡潔すぎてもっと解説して!というときに助けてくれるのが
「神の詩 バガヴァッド・ギーター」田中嫺玉訳
余計な解説がなくて、ただ言葉が美しい!寝る前によく読んでます。
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